愛知県、一宮市の神社は商売繁盛・金運・開運・厄払い・学業のご利益
由緒・御祭神
女性の神様たちが
祀られる、
女性に
優しい由緒ある神社。
愛知県一宮市の「堤治神社(つつみはりじんじゃ)」は、
摂社・末社を合わせて、四柱の女性の御祭神が祀られております。
木曽川の堤防上にあり、水災・水害祈願は元より、農業・産業の振興、
更に良縁・子宝など、女性のための様々な御利益をもたらすとされ、
昔も今も人々から信仰されています。
御祭神
埴安姫神(はにやすひめのかみ)
堤治神社
天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
堤治神社
木花開耶姫命(このはなのさくやひめ)
摂社 子安神社
倉稲魂命(うかのみたま)
末社 招福稲荷神社
主な御利益
水災・水害
「堤治神社」は、洪水や大雨などから地域の人々を守る鎮守として、木曽川の大堤防上に鎮座。
埴安姫神の御神徳もあり、遥か昔より地域の水災・水害に対して御利益があると言われております。
更に木花開耶姫命は漁業・航海安全の御祭神であることから、木曽川の漁業・水上運輸の安全を見守ってまいりました。
縁結び
当神社は女性の神様のみを御祭神とし、境内に〝むすびの夫婦岩〟があることから、縁結びに御利益があると言われ、昔も今も女性たちに信奉されております。
家内安全
埴安姫神は災害・災難除け、天照皇大神は魔除け、厄除けに御利益があると言われ、家内安全へ導きます。
開運
太陽を司り、万物に光明をもたらす日本三大神である天照皇大神は、開運に御利益があることから出世や勝利、幸運を導くと言われております。
病気平癒
天照皇大神が様々な厄を祓い、健康祈願の御利益へと導きます。
学業
神社の御神石には勝利や幸運を掴み努力が実を結ぶ御利益があるとされ、天照皇大神の御威光もあって、成績の向上・受験合格など学業祈願にも御利益があると言われております。
農業
埴安姫神が土の神にして田畑の守護神、天照大御神が農耕の神、倉稲魂命が名前に〝稲〟があることから穀物の神と崇められており、昔より五穀豊穣に御利益があると言われております。
商売繁盛
天照皇大神は産業発展に御利益があるとされ、倉稲魂命は〝お稲荷さん〟として商売繁盛の神様として崇められていることから、商売に携わる多くの人々が祈願に訪れます。
金運
五穀豊穣・産業発展・商売繁盛の御利益があり、金運の向上にも繋がるとされております。
厄払い
天照皇大神が魔除けと厄除け、木花開耶姫命が火難除けなど、様々な厄払いにも御利益があると言われております。
安産
埴安姫神は安産と子宝の守護を司り、木花開耶姫命が安産と子宝の神とされることから、古くから安産祈願に御利益がある神社として知られております。
由 緒
木曽川の堤の上より町と人の平和を祈る
木曽川は、古来より流域に住む人々に
多大な恩恵を享受してきましたが、
同時に河川は頻繁に氾濫を起こし、
その都度人々の脅威となっていました。
「堤治神社」の〝堤〟とは木曽川の
大堤防を指し、水災・水害から
町に暮らす人々を守り、
災難を治める鎮守としての役割を
担うべく建立。
そして御祭神として土と水の神である
埴安姫神(はにやすひめのかみ)を
祀ることで、木曽川流域の恩恵を
享受しながら五穀豊穣と地の繁栄、
そして平和を祈願してまいりました。
堤治神社はいつ建立したか
「堤治神社」がいつ建立されたのか、その正確な記録は残されておりません。
但し西暦706年に尾張国の海部・中島の二郡に大水害があり、
その堤防守護として建立されたという記録が残っているため、
大洪水の後に建立されたものと考えられています。
世は大化の改新で大宝律令が公布され、日本に中央集権国家が誕生した時代です。
幾多の戦乱を潜り抜けて
その後、奈良、平安、鎌倉と歴史が目まぐるしく変わっていく中で、
堤治神社も様々な戦乱に見舞われてきました。
当時の記録は文書に残されていないものの、文政6年(1823年)に境内地揚げが行われた際には、
社殿の地下から平安朝時代の神鏡や神酒壺、さらに鎌倉時代の仏師(彫刻家)である運慶の作品が出土されました。
神社がいかに地域にとって尊い存在であったかを伺い知ることができます。
太閤秀吉が神社に祈願・奉納
文禄3年(1594年)、晩年の太閤・豊臣秀吉公が木曽川大堤防の改築の際に
「堤治神社」に祈願し、完成後には鋳銅の鉤燈篭を奉納されました。
それは社の宝物として大切に保存されております。
秀吉が逝去する4年前の出来事です。
江戸時代、相次ぐ洪水に徳川家が対処
慶安3年(1650年)9月、
前代未聞の大洪水が発生しました。
当時の尾張藩主である徳川光友公は、「堤治神社」に水災除去・堤防鎮護・
藩内平安の祈願を仰せ、金城鎮護の浄砂壱握りを3つ、葉葵の紋付きの白木唐櫃に納め、刀一振りを相添えて奉納したとされます。
以後、毎年入梅の日(6月11日)には
「水災除去祈願祭」を斎行し、
現在まで継承されております。
また、洪水はその後の 貞享四年(1687年)、元禄三年(1690年)と相次いで発生し、尾張徳川家からはその都度、奉納の品が寄せられました。
時代が変われど、信仰は変わらない
江戸幕府の終焉から明治時代という近代国家が樹立。
様々な物事が転換した時期、「堤治神社」は「真清田神社」の境外末社から独立して村社となり、
昭和16年(1941年)に村社から県社に昇格。令和の現在に至ります。
古代・中世・近世、そして現代に至る途方もない歳月の中で、大きな水害や戦乱など
いくつもの時代の変遷を見続けてきました。
時代がどうあれ変わらないものがあるとすれば、
多くの人々にとってここが信仰と祈願の場であり続けたことであり、
それはこれからも変わらないものだと考えます。
これからも「堤治神社」の歴史は続きます。